忍者ブログ

しってんばっとう

一応、再就職するまでの記録?

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

スピーチ

現在、勉強しに行っている基金訓練では
受講生が9人でして、で、日替わりでスピーチをすることになっております。
で、今日は自分の番って事で何を話すか考えておりました。
 
結局、大学の時に勉強していた話のつながりで
聖書翻訳のことについて話しましたので、その話をここでも。
 
聖書って文書はもともとアラム語や古ヘブライ語で書かれたものでして
それがギリシャ語に翻訳されて、その後にラテン語になり、
グーテンベルグの活版印刷によって多言語翻訳へ広がっていくわけで。
で、翻訳の翻訳の翻訳みたいな感じになると
文字通り、伝言ゲーム的なことが発生しちゃうわけですね。
 
昔、大学に居た時、聖書を読んでいてどうしても腑に落ちない一節がありまして。
で、目の前にヘブライ語聖書・ギリシャ語聖書・ラテン語聖書・ドイツ語聖書を並べまして
その腑に落ちない一説の部分を日本語に直訳をしたわけですよ。
そうすると、すべての言語について、微妙に話が違ってきちゃったわけでして。
まぁ、もう2000年以上前の社会と現代社会では相容れない概念もあるし、
例えば今現在のイスラエルで通用する慣習であっても、今の日本では
到底理解し得ないものもあったりするわけで。
 
そういう「自分の文化圏では理解できない内容」ってのは自ずと自文化で理解しうる
表現方法に微妙に形を変えていっちゃう訳ですよね。
で、それをさらに別言語に翻訳とかしてしまうと、大元と話が全然違う、、とか
起こりえちゃうわけでして。
 
ここ最近は聖書の翻訳に関する国際的な取り決めとしては
ギリシャ語のものを底本として扱うと言うのが主流になってきてるようですが
「国際的に内容が全く同一の聖書」ってのはキリスト教としてありえないんですね。
教派によって、聖書の収録対象も異なるし、そもそも解釈が違うから教派が違うんだし。
で、上述の通り、同じ教派であっても言語が違えば、同じものを見てるはずでも
それぞれの言語によって中身が違ってたりするわけですよ。
 
だから、自分の目で見ているものが
そもそも、それを構成した主体の意図したとおりに伝えられているのかは謎な訳で。
知識として吸収する前に、その情報の真偽性を確かめる目も必要であろうし
それを実行するだけのスキルも必要になってきますよね。
 
まぁ、そんな話をスピーチさせていただきました。
まぁ、こうしてスピーチできる場がある際には
極力、大多数にとって触れる事ない世界の紹介に努めようと思っております。
そういう意味においては、あまりネタに困らない人生をやってきた感はあったりするわけで。
次回は何を話そうかねぇ。

拍手[1回]

PR

Comment

Form

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Trackback

この記事にトラックバックする

プロフィール

HN:
へたれ
性別:
男性
職業:
法人営業とかしてる
趣味:
わからん

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Twitter

Twitterっす。

最新コメント

[08/11 へたれ管理人]
[07/13 匿名きーぼー]
[06/01 へたれ管理人]
[05/30 匿名きーぼー]
[05/24 へたれ管理人]

ブログ内検索

カウンター

アクセス解析

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]